戦い終わって日が暮れて


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まだ終わっていませんがほぼ決着が付きそうな今回の騒動です。ともすれば上辺の派手な出来事に目を奪われて問題の本質的な部分が何だったのか分かならなくなったりする事が多いのですが、タイの今回の騒ぎと98年にジャカルタで起こった暴動とは根っこの部分では同じなのではないかと思いました。


ジャカルタの暴動は、長く続いたスハルト政権が疲弊してきたのと97年の通貨危機の影響で物価が上昇、政府の価格統制下にあるガソリンや電気代の値上げをきっかけに暴動が広がりました。何が同じなのかと云いますと、極端な所得格差のあるマジョリティである貧困層の不満は、普段はマグマのように溜まっていてそれがちょっとしたキッカケで爆発した点です。もちろん、国情も国民性も違いますので細部の事情は同じではないのですが、根底にあるのは貧困+格差であると思います。


”金持ちは喧嘩せず”と云いますが、お金を持っている人は余裕もありますし、喧嘩をしても得になる事は少ないので避ける傾向にあります。反対に”金のないヤツは負けない”とも云えます。もともと失うものを持っていない人は強力ですし怖いものがありません。少しばかりでも守るものがありますと、捨て身で勝負をする事が出来なくなります。何も持っていない人は、どうせ”ゼロ”なのですから思い切った事が出来ますし、無茶な事も躊躇なく出来たりします。


もう一つの”格差”の方ですが、どんなに頑張っても水面から顔を出せない層の人達には未来に対する希望が持てません。どうせどうにも成らないのならと云う考えはモノゴトを建設的に考える事を妨げますし、これも思い切った事をさせる要因になります。この辺は中東のイスラム過激派が育つ土壌に通じるものがあります。ただタイにせよインドネシアにせよ気候が良いので飢え死にするほどの貧困は稀なところが救いです。


格差とも関係がありますが、田舎に行けば行くほど教育の機会と環境はバンコクのそれとは比較にならないほどお粗末です。これはこの国の教育に対する考え方と予算の取り方にもよるのでしょうが、”田舎者=無教養”の構図は安い労働力を都会に供給するのにはなくてはならない構図のような気がします。


月曜日のシンガポールから来る時に機内で読んだThe Straits Timesに興味深い引用がありました。オーストラリア国立大学のAndrew Walker教授とNicholas Farrelly教授がNew Mandalaと云う学術サイトに投稿している記事です。

"Even if an election went ahead, recent history underlines the likelihood of extra electoral intervention, either on the streets or in the courts, to overturn the result."

「例えこの先選挙が行われたとしても、最近の事例が示すように選挙結果をひっくり返す、街頭デモかもしくは裁判所の選挙結果に対する余分な介入がある公算が高い」


前々回の選挙で過半数を取った赤服側が、裁判所に違法判決を出されて当選がひっくり返ったり、キ色のデモで退陣を余儀なくされたソムチャイ首相の事を指しているのだと思います。要するにルールがないのですから、民主的な選挙結果自体に意味がなくなる点を指摘しています。


加えてこの国において強大なパワーを持つ軍部は現体制寄りですから、少々の横車は押しやすいと云う事情もあります。タイの国家予算のうち防衛費がどれぐらいかは知りませんが、歴史的に見て予算以上のパワーが有る事は間違いありません。逆に云えば軍部を味方に出来ない勢力は政権が取れないのだと思います。


上述のNew Mandalaは割と平易な英語で書かれています。バイアスのかかっていない良く分析された内容ですので、興味のある方はコチラからどうぞ:http://inside.org.au/thailands-royal-sub-plot/


上の写真は近所のクェティオ屋の壁にかかっているポンチ絵です。ここのオヤヂが赤服シンパな訳ですね。とても幼稚で教養のカケラも感じられない絵です。でも如何に無教養で貧乏人でも同じ憲法の下のタイ国民である事に変わりはありませんし、彼らには彼らの考えと価値観があります。